『ヨスガノソラ』の方程式:「境界」「鏡像」「水と火」

ヨスガノソラ』は、「境界」「鏡像」「水と火」の三点に注目することで作品をシンプルに楽しむことが出来るではないでしょうか。
エロゲ原作で、ヒロイン毎のルート(しかもサブタイトルで明示される)となれば、そこで描かれるストーリーは約束された結末(=セックス)への序章(=前戯)にすぎないのかもしれません。勿論、ストーリーをしっかり追いかけキャラの心情を理解し作品を楽しむのが一番なのでしょうが、前記したような「どうせ最後には上手くいってセックスする話」の整合性を「言葉」でもって追いかける域には達していない私としては、登場人物の行動原理を「映像」から得られる情報をもとに推測し、逆算的にストーリーを追う方が得策だろうと思った訳です。
言うなれば「言葉」派が前戯からセックスを一連の流れのうちに行うなら、「映像」派は約束されたセックスの為に前戯をある種遡行的に試みるということです。行き着く先はどちらも同じですが、行為(セックス)から逆算された過程(前戯)というのは、それ自体が行為(セックス)であると言い換えることができるのかもしれません。
要するに今回は、ルートヒロインは如何にして春日野悠とセックスするに到ったのか、その傾向を知ることで作品をより楽しもうという話です。


今回注目する「境界」「鏡像」「水」はOPでも、印象的に描かれます。
境界



鏡像






この場合、境界は車線。鏡像は窓に映る幼い悠と穹。水は漂うかのように描かれる穹、プールに浸かりラスボス感を漂わせる奈緒、ラストの濡れた悠と穹です。

  • #01

ここでは「境界」に注目します。この挿話は全ヒロイン共通のものなので、




境界を意識させると一方で、



廊下や橋のように、悠とヒロインを同線上に置くこともしています。
つまり、今後の展開次第で関係はどうとでもなり得る、まさにスタートの状態にあります。

  • #02(AK2)

今回は「水」に注目です。火は別にまとめます。


水には、洗礼や清めのような象徴的な意味もあるわけですが、この後、悠が、


……と、煩悩まみれで欲望の赴くままの行動をしていますから、ここではホースから飛び出す水は性的欲求のメタファー、毒島先輩の言葉を借りるなら「濡れるッ!」と考えた方がすんなりいくでしょう。
先に言ってしまうと、この作品の登場人物は「濡れると発情する」という特徴を持っています。

  • #03(K3)

ここからは一葉のルートです。



瑛と一葉の「秘密の関係」を知った後の橋上での二人の位置関係は、同線上に配置されます。つまり、この二人に注目してくださいというメッセージみたいなものです。




境界を意識させるのは上の場面でしょう。この時の一葉のセリフは「誤解しないでよ」です。話がこれから進んでいくことになるけど、そのどこかには誤解があるらしいということが窺い知れるのです。
この境界を意識させる画面は大まかに言えば、「ヒロインと悠の心の距離」と「超えなくてはいけない障害」の二つの意味合いを持っています。つまり約束された結末を迎えるには、二つの意味で境界を乗り越える(越境する)必要があるということです。
そう考えればこの場面において二人は、そこまで親密であるとは言えず、誤解という障害もどこかに残っているということになるのでしょう。


続いては境界を越える、越境のシーンです。


この場面では、パラソルの柄が境界になっています。一葉から差し出されたラムネを悠が境界を越えて受け取る、親密な関係になりつつあることが暗示されています。
何故この場面で越境が起こったのか。その答えは、このシーンの直前を見ることで分かります。



ラムネ噴出しちゃってます。海に行きながらも濡れることのなかった悠ですが、ラムネが己のリビドーを象徴するかのように射出され濡れちゃっているわけです。
この場面、メイドの丁度ケツの割れ目が境界線になっていますが、この「濡れ」がきっかけで、前述のパラソルの柄とあわせて越境が起こります。濡れると発情する人たちですから、この辺りからがルートということを意識し始める段階なのでしょう。


帰りの電車では、座席と通路で境界を見せます。悠と穹の境界です。二人の関係を穹が認識したという事でしょう。
あっさりしているように思えますが、一葉と瑛のルートでは穹の部屋には借りてきた蚊帳が設置されいます。文字通り穹は蚊帳の外に置かれ、ストーリーにそこまで大きな影響は与えません。


(以後、赤線=心的距離、黄線=越えなくてはいけない障害、青線=同線上の強調)


日が変わって。一つ目の境界、つまり悠と一葉の「心の距離」という境界は越えたものの、まだ「障害」という境界は残っているので再び境界が描かれます。


悠にとって障害となりそうなのは穹ですが、一葉との関係には(電車の描写から分かるように)一応お墨付きを頂いているはずですから、これから描かれるのは一葉の超えるべき障害と考えるのが妥当でしょう。






上にあげた場面からも分かるように、一葉にとって「超えなくてはいけない障害」となっているのが、父と瑛のことです。これが冒頭にもあった誤解の大元にもなっているわけですが、右のカットでは瑛と一葉の父は同線上にいるようにもとれる描き方がなされています。つまり、当人たちは一葉が思っているような悪い関係ではない=誤解の原因になっているのは一葉自身であるかもしれないことが示唆されているのです。


「超えなくてはいけない障害」という境界を見せた後に、再び「心の距離」の境界を描くことで双方をより印象付けます。



境界越えのキスの後、アングルが変わると二人は同線上にいるというカットです。完全にルートに入ったと言えるでしょう。
瑛と穹は端によって、主役に道を譲ります。



中央に鎮座することで障害として描かれた瑛が端に寄っているこのカットは、一葉は色んなことを瑛のせいにしてるけど、本当はそんなことはないのにねという意味も持っているでしょう。


先に進む前に、「鏡像」について触れておきます。
像を写す鏡やガラスは境目の意味を持ちます。この作品では境界を意識する必要がありますから、そこに映りこんだ像は、乗り越えなくてはならない人物、もしくは決断しなければいけない人物を示すことになるでしょう。
ここでは、車のバックミラーに映りこんだ一葉の姿に注目します。


寝ている一葉は、鏡に映った自分の姿を見ていません。「諸々の問題は父にあるということにしている自分」のことを見ようとしていないのです。
他にも車のルーフに映る空は、空→ソラ→穹を想起させますし、鏡像ではないものの車のガラス越し(境界越し)に見える一葉の父の姿というのも印象的ですから、これも一種の鏡像としてもいいのかもしれません。

  • #04(K4)

この挿話では、まず鏡像に注目します。



バックミラーにはっきり映りこんだ一葉とは対照的に、廊下には瑛の姿は微妙にしか映りこみません。加えて、この後 瑛が階下という境界の向こう側へ行ってしまうこの場面は、この挿話の前半の展開を予期するかのようです。


瑛が過労で倒れるところで境界での描写、



畳の合わせ目に華麗に倒れることで、話の中心(一葉が超えなくてはいけない境界と思い込んでいる)に瑛が再び引っ張り出されます。疲れてるのにね。


瑛と父の関係を半ば言い訳にして自分自身や父から逃げている一葉は、境内で瑛と対峙します。



ほうきの柄によって作り出された境界を越え、思いを伝える一葉ですが「私を言い訳に使うな」と瑛に痛いところをつかれ敗走します。本当に超えるべきは自分自身だからです。


なんやかんやあって、祭りで境界(心的境界)を越えてきた悠と、思い込みではない瑛と父の本当の関係(超えなくてはいけない境界)を一葉が見る、晴れてセックスでフィニッシュです。お疲れ様です。




このように、注目すべき三点について簡単に要約するなら、

『境界』=「悠とヒロインの心の距離」と「超えなくてはいけない障害(懸案事項)」
『鏡像』=「超えなくてはいけない障害」を乗り越えるべき人物
『水』 =発情(欲望の赴くままに行動するため)のスイッチ

になるでしょうか。
これを踏まえて、続いて瑛ルートは確認程度に。

  • #05(A3)




これは心の距離を表す境界が描かれるカットになると思われますが、瑛が境界上にいることが分かります。つまり、この二人は初めから割りと親密な関係を結べているということになるでしょう。その後描かれる悠と奈緒が歩く畦道の轍の境界(右)と比較すれば一目瞭然です。


という訳で、ここでは境界が「超えなくてはいけない障害」の意味で描かれる回想の場面に注目します。



非常に仲良く見える二人ですが、幼少期に二人で遊んでいたときに瑛が大切にしていたペンダントを失くしてしまったこと、これが悠にとって心の奥底で障害になっているようです。悠が半ば強引にペンダント探索を提案するのは、こういった理由があるからでしょう。
既に親密とも言える二人が障害を取り払う儀式として行うこの探索で、沢に落ちて濡れる→風呂でセックスという流れが起こったのは、必然だともいえるでしょう。心的距離が近く、二人共濡れて発情すればセックスくらいしますよ。


が、事後。二人の間には明確な境界が描かれます。心的距離は近づいているはずの二人ですから、これは「超えなくてはいけない障害」の方、悠ではなく瑛が目下抱えているものが問題になることが予見されます。

  • #06(A4)

このルートでの鏡像の主は一葉の母親です。彼女が、これまで言わないできた瑛の出生の秘密(誤解:瑛と一葉は取り違えられたかも)を正しく瑛と一葉に伝える必要がある。つまりこれまでの自分を越えなくてはいけないことになります。


彼女が本当のことを伝えて誤解を解き、和解して(障害を越えて)ハッピーセックスです。お疲れ様です。




一葉ルートと同様、ここでも穹は「蚊帳の外」ですから、大筋にはあまり絡んできません。


このルートを踏まえた上で、注目すべき三点についての関係性を確認して次に進みます。

まず「悠とヒロインの心的距離」を示す境界が描かれる。それを超えるには『水』に濡れて発情する必要がある。つまり、濡れることは発情=境界を超えるためのスイッチになっている。境界は心的距離だけではなく、ヒロインと「超えなくてはいけない障害(懸案事項)」の関係も表す。これを超える決断をしなくてはならないのが鏡像の人物である。

  • #07(NS2)

奈緒ルートと穹ルート共通の挿話です。これまで文字通りの意味で蚊帳の外にいた穹ですが、蚊帳が蚊取り線香に変わったこともあって呪縛を解き放たれ、話に大きく絡んでくることになります。
境界を意識させるカットをいくつか参照します。





左からの時系列順になっています。
2つ目までは心的距離を示すものでしょう。過去に一騒動あった悠と奈緒が心の距離を測っているという感じでしょうか。この境界を越えてキスをしようとする二人ですが、越境のスイッチとなる「水」はどこにあるでしょうか。ここまで奈緒はプール掃除、風呂と水に濡れる描写がされていますが、悠は濡れていません。しかし、ここで二人がしている会話に注目すれば答えが見つかりそうです。
この場面、二人は思い出話をしています。悠と奈緒の過去の出来事で重要になっていること、それはあの逆レイプ事件でしょう。つまり二人は過去に「濡れ場」を経験し、ぐちょぐちょに交わっているわけです。だから思い出話が心的距離の越境のスイッチになったと考えられるのです。

3つ目、穹がふすまを開けることでキス(越境)は未遂に終わります。ここで二人を分かつように新たに登場する穹は、「超えなくてはいけない障害」という二つ目の意味での境界になるでしょう。

そして4つ目、窓越しの穹の姿です。これは一種の鏡像とも考えられるのは一葉のところでも触れました。このカットでは窓だけではなく、窓枠でも境界が描かれます。窓枠が分かつのは、穹とぬいぐるみです。ぬいぐるみは母との思い出、すなわち過去を象徴するような意味を持っているでしょう。
つまり、これから描かれる話で「障害になるのは穹」で、「決断しなくてはいけないのも穹」だということが、これらのカットで示唆されているのでしょう。穹が何を決断しなければいけないか、それがぬいぐるみに象徴された「過去の出来事」や「抱えてきた思い」となるでしょう。穹が自分の中でどう決着を付けるかが、これから描かれる二人のルートの根幹に関わってくるということになりそうです。

日が変わって、謀略によってプールで発情を促し、境界を意識させる画面の後に「過去の出来事はイヤではなかった」と悠が伝えることで、二人の間にあった過去という壁が取り払われ、未遂に終わっていた越境がおこります。




今一度確認しておかなければならないのが、これが奈緒だけはなく穹の挿話でもあることです。つまり穹は、濡れて発情し奈緒との境界を越えている悠を攻略しなくてはいけないことになるわけです。さらに、過去と決着をつけ自分で自分の境界を越えなくてはいけないのだから大変です。

  • #08(N3)

既に越境済みの悠と奈緒は、境界を意識させるために繰り返し使われた畦道でも同一線上に描かれ、その親密さを思わせます。


ここからは、穹の視点も考えて物語を見る必要があります。
このルートで「超えなくてはいけない障害」になっているのは穹です。しかも、その境界を越えなくてはいけないのは悠と奈緒というよりも、他ならぬ穹自身であることが鏡像により示されました。やっと物語の表舞台に立った穹ですが、そこから降りる必要があるということです。


穹と悠の間には渡り廊下が描かれ、その断絶が見て取れます。その渡り廊下に表れるのは奈緒です。穹から見れば奈緒は邪魔者=障害なわけですが、これは奈緒のルートですから、そう考えている穹自身が二人の邪魔者=障害になっているということです。
ここで穹は蛇口の水を自身で浴びます。抑えきれなくなった己の欲望を噴出させ、濡れる=悠との境界を越えようと準備を整え始めるわけです。


弁当を持ってきた奈緒と悠、そして穹の場面は穹が二人の間に。階段を降りる穹の姿は廊下にはっきりと、その像を結びます。境界と鏡像です。



悠と奈緒の情事を目撃した穹は、奈緒を家から追い出します。ここから目に見える形で、穹が奈緒にとっても超えなくてはならない境界として立ちはだかることになります。


穹が明確な境界であることが分かった後の窓越しのカット。一種の鏡像ですから、この境界は3人で越えなくてはならないものでもあることが分かります。その後も、境界を意識させるカットが続きます。



この窓越しのカット、#07(NS2)の窓越しカットとよく似ています。擬似同ポを使うことで、穹が過去側に近づいていることが分かるでしょう。#07ではぬいぐるみが過去の記号となっていましたが、ここではそこに悠と奈緒がいます。この二人は幼い頃に一騒動あって、穹もそれを目撃して知っているわけですから、その件について決着をつけなくてはならないということになるのでしょう。


この後に登場するのが、真の鏡像です。悠と奈緒が一緒にいる姿を憎らしい表情で見ている姿が、窓に映し出されます。二人の関係を好ましく思っていない自分というのが、このカットで穹の超えなくてはいけない境界だというのが分かります。


#09(N4)
心的距離は近づいている悠と奈緒ですが、二人の間には穹という懸案事項があります。浮かない表情を浮かべる二人の間に描かれるパラソルの柄は、それを表しているでしょう。


続いて、海で溺れた悠の救命処置をする奈緒の姿を、穹が目撃する場面です。




二人とも海に入っているのだから当然濡れて発情しています。悠の方は、まぁ性欲に溺れた人間とでも理解しておいて、奈緒はどう解釈する必要があるでしょうか。発情とはつまり、欲望の赴くままに行動することです。過去のこともあって、穹は奈緒のことを乳デカ淫乱ウザ眼鏡みたいに思っているでしょうが、この行動を見たことで考えを改める必要がある=「超えなくてはいけない障害」を自覚し始める段階に入ったということが分かってきます。


そうは言っても、そんなに簡単に決断できるものではありません。そんな時に、悠は自分(穹)を超えて奈緒の方へ行ってしまいます。


ここから穹は、悠と奈緒が二人でいるときを狙ってメールを送ったり、仮病を使って悠の気を引こうと最後の抵抗を始めます。これが効いて、二人の間には再び境界が生まれます。


そして家出です。


探索の途中で雨が降り出します。境界を越えるのに必要な儀式=濡れることを叶えてくれる恵みの雨といえるでしょう。
ここでも、擬似同ポが使われます。



家庭の不和で落ち込んでいた奈緒のもとに来てくれた悠、同じく逃げ出した穹のもとに来てくれた奈緒という具合です。何度も言いますが、この挿話で決断を迫られているのも、それから逃げているのも穹なのは鏡像からも明らかになっています。意地悪に言ってしまえば、もたもたしてる穹と、しびれを切らした奈緒の直接対決の場面とも考えられるわけです。二人とも濡れて越境スイッチがオンになっていますから、それこそEDのように殴りあいが起こる可能性すらあったと言えるでしょう。




この後、落雷により炎上した待合所、そこに残されるのは過去の象徴 ぬいぐるみです。悠と奈緒が付き合っていくということは、穹にとってみれば過去やこれまでの思いを消失(焼失)してしまう、もとい自分自身の存在が無きものにされるも同然なのです。それを救い出したのが奈緒です。伊達に眼鏡かけてません。


で、晴れて穹公認の関係になって青姦でフィニッシュです。お疲れ様でした。悠は特に何もしてませんね。リムーバブルちんこみたいな奴です。

  • 「火」について

「水」と対応するのが「火」です。
水が無意識の欲望のスイッチなら、火は意識化の着火装置とでも呼べるかもしれません。つまり、

水=心的境界を越えるためのスイッチ
火=障害となっているものとの境界を超えるためのスイッチ

になっている可能性が高いというわけです。




一葉・瑛・奈緒の各編で登場する火です。
これら火が登場した後は、必ず水が登場します。一葉編で言えば、太陽は水平線の向こう側(水の中)へ消えるように見えますし、瑛編は燃やしたノートを悠が鎮火します。奈緒編でも、火事の小屋に飛び込んだ後は、雨に打たれることになります。
障害となっているものを超えるための心の燃え上がりを表す「火」と、ヒロインと悠の心の境界を越える発情スイッチの異名を持つ「水」で消すことは、これらが密接に関わっていることを示しているでしょう。
つまり、懸案事項(火)を解決した後のセックスこそが真のセックス(水)で、そっちの方が断然気持ち良いみたいな感じの話です。




残すは穹のストーリーのみとなりましたが、奈緒との共通エピソードで大きく出遅れ、兄妹という一線(境界)をも越えることになるであろう このエピソードも、「境界」「鏡像」「水と火」に注目して見れば、作品をより一層楽しめるかもしれません。

  • 『境界』=(1):「悠とヒロインの心の距離」、(2):「超えなくてはいけない障害(懸案事項)」
    • 同一線、境界線上に配置される場合はそれぞれ、(1)親密度の強調、(2)障害因子となっていると思われる人物を意味することもある。
  • 『鏡像』=(2):「超えなくてはいけない障害」を乗り越えるべき人物
    • ガラス越しの場合は、(2)で障害因子となっている対象
  • 『水』 =(1)の「心の距離」を超えるための発情装置(欲望の赴くままに行動するためのスイッチ)
  • 『火』 =(2)の「障害」を超えるための着火装置


火怖いね。